歴史・概要
御祭神
明治戊辰の役より幾多の事変並びに戦争等の国難に殉ぜられた徳島県出身の英霊34,369柱を奉斎し、また相殿に徳島県出身の殉職自衛官の御霊24柱を奉斎しています。
由緒・沿革
明治12年徳島市の眉山公園内に戊辰戦争からの戦没者を慰霊顕彰するために招魂碑を建立したのが当神社の創祀です。明治39年徳島城跡地(徳島中央公園城山山頂)に移転し、昭和13年には「徳島縣招魂社」として神社が建立され、翌14年には内務大臣指定「徳島縣護國神社」と改称しました。
昭和20年の徳島大空襲ですべての建造物を焼失しましたが、昭和33年戦後混乱期の社会情勢の中で官民一体となり、県民挙げての奉賛により再建されました。
昭和53年には御創社百周年記念として境内整備事業が完工し、昭和63年には御創建三十周年記念事業として社殿屋根銅板葺替工事が行われました。
ところが、その城山山頂はもともと徳島市からの借地であり、原生林保護区域にも指定されていたため車道整備などの開発ができず、遺族・崇敬者の参拝も大変不便であったことから、平成になって再度移転の話が持ち上がりました。そのようななか現在地にお住まいになられていた女性篤志家から移転用地(約2,700坪)の寄進を受け、遺族を中心に多くの県民からの奉賛を受けて、平成15年本殿・社務所参集殿の新築、拝殿・手水舎・慰霊碑および境内諸施設の移設等を完了、正面入口には石造りでは四国最大級の大鳥居が竣工し、今の姿になりました。
略年表
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明治10年10月27日 國瑞彦神社において初めて臨時招魂祭を斎行
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明治12年9月 徳島市眉山公園内に招魂碑を建立
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明治39年4月 徳島中央公園徳島城跡地(城山山頂)に移転
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昭和13年11月 「徳島縣招魂社」創建
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昭和14年4月 内務大臣指定「徳島縣護國神社」となる
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昭和20年7月 徳島大空襲にて社殿及び社務所焼失
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昭和28年4月 徳島県護国神社復興奉賛会を結成
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昭和33年4月 〈戦災復興〉社殿及び社務所再建 遷座祭斎行
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昭和35年11月2日 合祀概了奉告臨時大祭斎行
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昭和40年11月2日 終戦二十周年臨時大祭斎行
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昭和50年11月2日 終戦三十周年臨時大祭斎行
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昭和53年5月 御創社百周年記念境内整備事業完工
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昭和60年11月2日 終戦四十周年臨時大祭斎行
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昭和63年4月 御再建三十周年記念臨時大祭並社殿屋根銅板葺替工事記念事業竣工
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平成7年11月2日 終戦五十周年臨時大祭斎行
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平成13年6月 徳島県護国神社建設奉賛会を結成
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平成14年7月18日 徳島中央公園城山山頂旧社地より現社地に仮殿遷座祭斎行
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平成15年9月24日 正遷座祭斎行
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平成15年9月28日 竣工奉告祭斎行
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平成16年2月 大鳥居奉納奉告祭斎行
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平成17年 終戦六十周年臨時大祭斎行
皇室の御参拝・御奉納
御参拝
御奉納
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昭和35年 天皇陛下より幣帛料御下賜
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昭和40年 天皇陛下より幣帛料御下賜
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昭和50年 天皇陛下より幣帛料御下賜
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昭和60年 天皇陛下より幣帛料御下賜
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平成5年 天皇陛下より幣饌料御下賜
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平成7年 天皇陛下より幣帛料御下賜
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平成10年 天皇陛下より幣饌料御下賜
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平成17年 天皇陛下より幣帛料御下賜